薩摩和菓子の考察記録

薩摩和菓子(@satsumawagashi)が考察したことを置いておく場所です。

人形とホラーとバーチャルYouTuber

 2008年、動画投稿サイトYouTube日本法人は、広告料によって得た収益を動画投稿者に還元する「YouTubeパートナープログラム」を開始した。年を経るにつれてユーザー収入の総額は上昇し、YouTube広告の収入だけで生活費を賄う投稿者が現れるようになる。審査制だったプログラムが2012年には一般ユーザーに公開され、 「好きなことで、生きていく」 ことを目論み参加する投稿者は爆発的に増加した。彼らはYouTuberと呼ばれ、2017年には「男子中学生がなりたい職業ランキング」でも三位にランクインした。 
 YouTuberの多くは個人の名義でチャンネルを開設しており、個性を高めるために極端なキャラ付けをする傾向がある。たとえば「AVGN」(AngryVideoGameNerd)はいかにもなオタクのコスプレをし、「クソゲーに怒りながらも愛することをやめられない」というキャラを演じている。つまり、キャラさえ立てば顔出しは必須ではない。その証拠に、Live2Dでイラストに表情を手付けし、機械音声にしゃべらせる、「アニメ娘エイレーン」のようなYouTuberも存在する。
 そして2016年12月1日、キズナアイが動画投稿を開始する。 白い背景のなかをアニメ調の3Dモデルが、身振り手振りや豊かな表情を交えながら話す。その最初の動画で自身を「バーチャルYouTuber」と呼称したことで、「バーチャルYouTuber」という概念が確立された。本人が示した解釈としては概ね「VRアバターを用いたYouTuber」である。 
 本論考では、顔出しで架空のキャラを演じるもの、手付けの映像技術や音声技術の使用を除外するため、「モーションキャプチャーや表情認識、音声認識を駆使して、演者の身体運動や発話行為を反映させた、架空のキャラクター」と定義する。

 では、バーチャルYouTuberは「ガワをアニメ風にしたYouTuber」でしかないのだろうか。「人形」や「ホラー」といった尺度は必要ないのだろうか。私は否と答える。バーチャルYouTuberの三つの傾向や特徴を理解するには、人形という尺度は有効であり、YouTuberにはない怖さや奇妙さ、そして面白さを説明できるようになるのである。

 一つは、バーチャルYouTuberが動員するモチーフの多くがキャラクター化されたホラーモンスターなことである。この傾向は個人が運営するバーチャルYouTuberにおいて顕著である。いくつか例を挙げると、のらきゃっとの背景にはSCP-040-JP「ねこです」(ある井戸小屋を視認することでイエネコの認識を歪められてしまう、という都市伝説において、歪められた人が認識するイエネコの像) が配置され、ときのそらのもつぬいぐるみ「あん肝」はときのそらが寝ると自律してしゃべったり動いたりするようになる。
 また、本人自体の属性がホラーモンスターである者も多い。霊電カスカは幽霊、カフェ野ゾンビ子はゾンビ、照乃は装着者に憑依する呪いの仮面、届記ウカは屋敷に迷い込んだ人間を剥製にする不老不死の美少年である。
 この現象を説明するために、悪夢に登場するホラーモンスターについての精神分析的解釈を援用できるだろう。
 悪夢に登場する対象が怖いのは、悪夢を見る者の中にある隠された欲望が検閲され、変形して現れたものだからである、と言われている。否認によって愛が攻撃性に、投影によって対象への能動性から自身への能動性に、退行によって性器期的な欲望(性交渉したい)が口唇期的な欲望(抱かれたい、噛まれたい、食べられたい)に変形した結果がホラーモンスターなのである。 
 バーチャルYouTuberにおけるホラー的な要素も同様に、見る側と見られる側双方の隠された欲望が変形したものである。見る側については前述のとおりだが、見られる側については非倫理性へのエクスキューズとして活用される。
 バーチャルYouTuberはしばしば非倫理的である。キズナアイは「友達」をユニティ・アセットで購入し、電脳少女シロは視聴者のVRアバターに向かって「順番に殴るね」と発言し、輝夜月はクリぼっち(クリスマスを一人で過ごすこと)を揶揄する動画をクリスマス・イヴに投稿する。これらの行為は、顔出しならば炎上しかねないが、人権をもった他者がいないVR空間だからこそ成立するものである。そして、企業が運営するバーチャルYouTuberであれば企画者と演者が分かれているために精神的な負担は分散されるが、個人によるものではすべてを一人で背負わなければならない。このちがいが、個人バーチャルYouTuberにおけるホラーモチーフの多様として現れているのだ。「ホラーモンスターだから非倫理的なのはしかたがない」と。

 二つは、バーチャルYouTuberは演者の自己同一性を撹乱することである。これは、一人が複数の人格になるケースと、複数人が一つの人格になるケースの双方が観測されている。
 前者は、個人製作のバーチャルYouTuberによく見られる。2017年12月から急増したバーチャルYouTuberのほとんどは個人によって製作されたものである。そのような場合、キャラクターと技術者という、時として相反する利害が一個人に同居することになる。
 ねこますは、動画が就活におけるポートフォリオであることを最初から公言している。このようにキャラクターと技術者を同一化させることは、矛盾への対処法として正しいように思われた。しかし、様々な企業とタイアップするなかで、求められているのはキャラクターとしての自身であり、技術者としての自身が求められないと不満をもらす。
 この事態は、「人形使いが人形に主導権を握られる」という、腹話術師を題材とした物語類型に酷似している。
 降霊術として生まれた腹話術は、人形への外化することで声を術者の制御下に置き、娯楽化に成功した。 現行の腹話術の多くは人形がボケ、術者がツッコミを担うが、それは人間が人形よりも人間に感情移入することが自明視されているからである。これにより、術者も観客も安心して、人形にバカキャラを演じさせることができるようになる。しかし、人形にしゃべらせている声の由来は他者の声であり、それをメディアとして媒介するなかで、術者にも御しえない個性が人形に発生し、主従関係の転倒への不安と恐怖を喚起する。
 同様に、バーチャルYouTuberも自身の声や身体性を外化することで娯楽性を獲得した。自身とは似ても似つかないVRアバターを用いることで、日常生活では演じられないような奇抜なキャラを演じることができる。そのVRアバターの表情は極端にデフォルメされているか無表情である。それは、過剰な感情表現をするチャップリンやロイド、「偉大なる無表情」を貫いたキートンのように、どちらも感情移入(それは娯楽においてしばしば逆効果となる)を抑制するのに役立つ。そして、その奇抜なキャラにツッコミを入れるのが編集作業であり、失敗を指摘する文面をカッコ付きで表示したり、ズッコケやハタキのSEを加えたりする。つまり、ボケとツッコミを時間差で行った結果がバーチャルYouTuber動画なのである。しかし、キャラクターとしての自身と技術者としての自身の評価は多くの場合均衡せず、大抵はキャラクターのほうに向かう。この現象への対処法としては、技術者としての自身を「プロデューサー」と呼称することで、キャラクターとしての自身を積極的に自律化したのらきゃっとのほうがむしろ最適解なのかもしれない。
 後者は、身体動作、表情、声の間のズレである。それは現行のVR技術の限界に由来する。身体動作を認識する技術では表情を認識することができないため、表情専用の別の技術を用いる必要がある。この状況は、ササキバラゴウが「キメラ」と呼称した、写実的な身体と記号的な頭部によって構成されたキャラ図像の類型を思い起こさせる。 
「キメラ」とは、人間が進化の過程で恐怖として認識できるようになった表象カテゴリである。
 原始的な生物は外界についての表象とそれによって引き起こされる行為が一対一対応しているが、それでは遺伝子に刻まれていない例外処理ができない。そこで人間は、この対応を記述面と指令面に分離させ、信念と欲求を別々にもつように進化した。この進化により、認識と行動までの間にバッファを設けられるだけでなく、信念と欲求のさまざまな組み合わせに対して、さまざまな行動が取れるようになる。それは、表象の対象を複数の属性に分解し、別々の対象がもつ属性を再構成する能力とも言いかえられる。その能力の行使の一つがキメラを表象する行為と解釈する行為である。 
 なかでも、輝夜月はモーション、表情、声を同時ではなく別々に収録し、それぞれの要素を別の演者が演じていると言われており、 もしそうであるならば、バーチャルYouTuberのもつ「キメラ性」を意識的に強調させた例と言えるだろう。

 三つは、表象としてだけでなく道具としての他者性である。VR技術はいまだに不安定であり、演者にもその挙動を完全に制御することができない。
 モーショントラックの不具合によって、手首が回転したり、腕や髪が胴体を貫通したりする。Unityの物理演算の初期設定が不十分で、だるま落としができなかったり(もちひよこ)、狐耳が骨折したり(ねこます)、たけのこの里をつかめかったりする(ニーツ)。音声認識の不備で「処女じゃない」と発言してしまう(のらきゃっと)。これはYouTuberではないが、生放送で演者の生映像が流出した事例(WEATHEROID TypeA Airi)もある。
 YouTuberは扱うコンテンツ(ゲームやアプリ、福袋、科学実験など)によって、投稿者にも予測不能という意外性を獲得するが、バーチャルYouTuberはその成立条件からすでにそれらが担保されているのである。

 以上、バーチャルYouTuberを「人形」「ホラー」の観点から再解釈してきたわけだが、それではバーチャルYouTuberは無機質で怖いだけの存在なのかと言えばそうではない。対象への恐怖は快感と両立するだけでなく、むしろ快感を促進するものである。
「身体化された評価理論」によると、「感じ」をともなう情動は、対象を認識したときの身体的反応をレジスタすることで、対象への中核的関係主題(「自分にとっての良し悪しという観点からの自分と状況との関係」)を表象している。 
 恐怖の身体的反応は、文脈によっては快感としても感じられる興奮状態をもたらすアドレナリンや、鎮静作用や快感をもたらすエンドルフィンの放出をともなう。さらに、恐怖を司る扁桃体は同時に快楽も司る。また、吊り橋実験からもわかるように、情動についての意識的認知は文脈による解釈を含んでおり、恐怖による「感じ」は解釈次第で恐怖にも心地よい興奮にもなりうる。ましてバーチャルYouTuberの場合、これはVR空間であって、脅威は実在しないという信念が存在している。この信念が本格的な回避行動を抑制し(誰も画面を叩き割ったり電源を落としたりはしない)、「不快で避けるべき」という意味づけを弱め、恐怖に内在する快感の側面だけを味わうことが可能になるのだ。 
 つまり、バーチャルYouTuberは人形的な怖さを心地よい興奮に変換する装置なのである。

参考文献
Webページは全て最終閲覧2018年1月25日
  YouTubeの収益化プログラム、日本のユーザー収入が3年で4倍に 「それで生活している人もいる」http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1207/30/news099.html
  好きなことで、生きていく https://youtu.be/fIhLHQ2tXQM
  中高生が思い描く将来についての意識調査2017 http://www.sonylife.co.jp/company/news/29/nr_170425.html
  KADOKAWA コミック&キャラクター局 (2017). コンプティーク2018年1月号. KADOKAWA. p. 150-155頁.
  「バーチャルYouTuber」『ピクシブ百科事典』 https://dic.pixiv.net/a/バーチャルYouTuber
  「SCP-040-JP」『ピクシブ百科事典』 https://dic.pixiv.net/a/SCP-040-JP
  戸田山和久(2016)『恐怖の哲学』、NHK出版、p305-307
  Vox, Valentine、清水重夫訳(2002)『唇が動くのがわかるよ』、アイシーメディックス、p88
  ササキバラゴウ(2004)『「美少女」の現代史』、講談社、p150-151
  戸田山和久、前掲、p221-223
  IQ上位2%大学生がバーチャルユーチューバーを徹底解説!【雨下カイト】https://www.youtube.com/watch?v=szbYi4xF3xw
  戸田山和久、前掲、p155
  戸田山和久、前掲、p334-337